ちていじんのぬくもり。
★印は最新更新です 小曲 登山 自己紹介
| ぬくもり日記 | う〜ん、メンヘラーって奥が深いなぁ。僕のまわり、多いよ。 みんなは、どう?着々と増えてきてるよねぇ?それとも類友で集まって来てるの? |
| あまえ日記 | 人は、他人の痛みや辛さや苦しみは、どうしたってわからないんだよ。 自分自身がその身におかれないとね。だから他人にあまえるのさ!おもいっきりね。 あまえるもんなんだよ。それはね・・・・・・。さあ!みんなもどんどんあまえるといいよ! |
| ★ふんばり記 | 脱ひきこもりを目指すメンヘラー、魂の手記。静かに更新中。 |
「生きづらさ」は、どこからくるのか?

| 依存症の二大原因 。 |
| アルコール依存症やパチンコ依存症(ギャンブル依存症)、それを助長して離れようとしない共依存、薬物依存症、食物依存症(摂食障害)、買い物依存症、恋愛依存症、ペット依存症、ケータイ依存症、ネット依存症…。 いまや老若男女を問わず、ありとあらゆる人が、自分の虚ろな心を埋めようとやっきになって、さまざまなものにしがみついています。 「それがないと不安で落ち着いていられず、いてもたってもいられなくなり、それをするためならどんなことでもしてしまう。欲望にとらわれて、冷静な判断ができなくなってしまうような状態」。それが、「依存症」です。 依存症に苦しんでいる人は、なんとかして、その依存行動を「治そう」とするのですが、精神科などで治療を受けても、多くの場合、かんばしい結果は得られません。 人間関係がどうしてもうまくいかない。人に対して思うような行動が取れず、いつも後で後悔するような行動を取ってしまう。相手や自分を無意味に傷つけ、それでも人を求めることをやめることができない、という人間関係に対する依存症もあります。 依存症の人が例外なく抱えているのは、「自分のこのような精神構造では生きるのがつらい」という「生きづらさ」です。 このような依存症は、いったい、なぜ起こるのでしょうか。 その大きな原因は「気の枯渇」と「現実否認」にあります。 |
| 子供の「気」を奪う親が増えている 。 |
| 「気」と言うと、気功や手かざしなどで手から出ると言われる、あやしげで実体のない、「なにか不思議なパワー」というイメージを持たれるかもしれませんが、ここでいう「気」とは、そういったオカルト的なものではありません。 たとえばなにか悩み事を抱えている時、人に愚痴をこぼすと、具体的なアドバイスなどなくても、親身になって聞いてもらっただけで、心が軽くなったような経験は、誰にでもあるのではないでしょうか。そのように、「人の話に注意を払って聞いてあげる」など、相手の立場に立って、相手の気持ちに共感してあげることが、人に「気を与える」ということなのです。 一方、上司に叱られてむしゃくしゃしたような時、部下のちょっとしたミスをあげつらって怒りを発散したりするとスッとした、多少なりとも気がおさまった、というようなことはありませんか。それは、やつあたりをすることで、「むしゃくしゃした不快な気」をまわりの人に押しつけたので、自分は、その「不快な気」から解放され、スッとした、ということなのです。 このように、「気」というのは、奪ったり与えたりすることのできる、心のエネルギーなのです。 子供、特に生まれたばかりの赤ん坊は、大人から気を与えられることをとても必要としています。ところがその赤ん坊が、大人から「気」を与えられることなく、逆に大人の一方的な都合による「気」の押しつけにあったり、ひどい場合には日常的に大人に気を奪われて育ったらどうなってしまうでしょうか。その子供は、体は育っても、「気」が足りないので心の中は幼児のままで成長することができず、常に「気」に飢えた人間になります。そして、その飢えを満たすために、人にまとわりついて注目を浴びようとしたり、それもできないとなると、アルコールやギャンブルや薬物などに、母親のおっぱいにしゃぶりつくようにしがみつきます。しかしそれらの依存の対象からは、本物の人間の「気」を得ることはできないので、心の飢えはいつまでも満たされることなく、しがみつき(依存)は際限なく続くことになります。 |
| 見たくない現実から目をそらし続けている 。 |
| また、「自分から不幸な状況を選んでしまう」という「病気」がありますが、この「病気」の多くは、その人が「現実から目をそらしている」ことが原因です。 周りから見れば、その人が自分から不幸を選んでいるのは明らかなのに、当の本人が自分の現実から目をそらしているために、自分の不幸の根本的な原因に気づかず、幸せになるための努力のしかたが分からずに、ずるずると不幸を選び続けてしまうのです。 これと同じように、依存のもうひとつの原因は、その人が、「現実から目をそらしている」ということにあります。 依存症や心の病に陥るような人には、見たくないもの、目をそらしておきたいものが、とてもたくさんあります。それは自分の心の中のことについても同様で、自分自身の本当の感情からすら目をそらし続けています。そして、少しでもそれらの現実と直面しそうになると、(そういうことは、もちろんしょっちゅうあるのですが、)そこから逃れるために、必死で、夢を見させてくれるモノや人にしがみつくのです。 ですから、それらの問題を根本的に解決するには、その人本人が、自分自身の現実から逃げずに、きちんと見つめることがとても大切なのです。 しかし、目をそらしている本人たちは、普通、自分がそのようなことから目をそらしている、逃げているという事実にすら気づきません。では、どのようにしたら、「自分が何から目をそらしているか」に気づくことができるでしょうか。 |
| 親との関係 。 |
| 人が依存症や心の病に陥るこれらの原因のほとんどすべては、その人が育った幼児期、その人を育てた「親との関係」にあります。 一体、人はどのような親子関係の中で、依存症をはじめとする心の病を抱えるに至るのでしょうか。 このようなことを毎月詳しくシリーズで書いていきたいと思います。 |
2. 人は「気」を食べて生きている
人間社会は未開のジャングル 現代社会において、人間は、一見、文明が進んだ、ある程度の秩序と法に守られた文化的な生活を送っているように見えます。しかし、人間の社会を「気」の側面から見ると、そこは、「気」に飢えた人間たちが、肉食動物のように他人の「気」をガツガツと貪り食っている、生き残りをかけた、未開のジャングルなのです。 その食うか食われるかの争いがもっとも苛烈な場所が「家庭」です。 子供が健全に育つためには、親から充分な「気」を与えられることが必要不可欠です。特に赤ん坊は、100パーセント母親に依存している生きている、未発達な生き物なので、母親から充分な「気」を与えられないと、正常に発育することができません。 ある父親は、夕食の食卓でいつも家族に、延々と自分の仕事のぐちを語って聞かせるのが常でした。子供がふと思いついて、学校であったことなどを話すと、父親は、「人の話をそらすな!」といって怒ります。子供たちはうんざりして、そそくさと夕食を済ませてそれぞれちりぢりに散らばって行きます。父親は、そんな子供たちの様子を見て、「家庭は安らぎの場所じゃないのか!」と言って怒ります。 子供たちがみんな、父親のぐちに耳を傾け、父親に注目して「気」を与え、父親の吐き出す泥水のような汚れた気を黙って飲み込み続ければ、父親にとって家庭は「安らぎの場所」になるのでしょうが、はたして、子供にとってはどうでしょうか。 |
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